前回の帰化申請ブログでは、夫が性同一性障害を乗り越え男性となられた上で正式に婚姻し戸籍上の夫婦となられているカップルにおいて、第三者の精子の提供を受けて出産した子供の嫡出子出生を認めて差し上げてよいであろう、という見解をゆるゆる述べ始めましたが、それは、ヒューマニズムや当事者の心情を思いやっての観点から申し上げたのではありません。
もしも、いち市民としての私の正直な心の中の思いだけを述べるならば、「産まれてくる子供や、父母となる夫婦が幸せになればそれで良いではないか。」という気持ちと同じくらいの重みで、「本来のDNAを承継する父の子として生まれてくる生命の権利を、法律をはじめとする人間社会の都合で左右して良いのか。」とという気持ちもあります。
また、申請支援センターの業務の中で実際に、性別の変更をされて来た方の「壮絶な決意」と対峙してきた中で、感情のみで申し上げるならば、「認めてあげる以外にない」としか申し上げようがありません。簡単に「性別の変更」などと申しますが、現行はフィジカル上の性転煥を強制される扱いなのです。いえ、悲しいことですが、私見からは、性転煥手術ではなく、性放棄手術と私の目に映ります。
いつもにこやかなふりをして「わたくしは」とか愛想笑いを続けている私が、「俺が頭が固いと嫌われるとしても、俺が父親なら絶対辞めてくれ、思い直してくれと、叫ぶぞ!死ぬまでの残された数十年や、死んでからの家族・親戚、それは養子縁組などで子供になられた自分の子供の気持ちやさらにその子や孫の将来まで、全てを考えて決めたのか!今なら引き返せる、もういちど良く考えろ!」と、「絶対辞めてくれ」ということ自体が差別心であることもはばからず、依頼人の方に叫んだこともあります。
ほとんどの方は、それでもぶれない。
心の中の性は、まさにご自分の命そのものであることを痛感してきたからです。
もう、それだけで認めてあげて欲しいくらいです。
ただ、ブログはおろか、世界中の書き物に書かれたヒューマニズム上の主張というものは、あらゆるものが全て、一部の目的ある人々が自分の目的を遂げるために、どちらにもつかない読者の心のプロキシファイトを仕掛けているものですから、単にビジネスの一助のためだけに書きなぐっている当帰化申請ブログなのでたいしたことも書けないとはいえ、せめて、そういった目的あるヒューマニズムで主張しているのではないことを申し添えたいと希望します。
では、なぜ、嫡出子出生を容認しても良いと考えるのか?
言いたいことはありすぎ、さらに商売上PRもしなければならず、
標記の件も持ちこしながら、次回に。
(焦点は少しずつ合わせて参ります)
性同一性障害の方の帰化申請その1
性同一性障害の方の帰化申請その2
性同一性障害の方の帰化申請その3
性同一性障害の方の帰化申請その4
性同一性障害の方の帰化申請その5
性同一性障害の方の帰化申請その6
性同一性障害の方の帰化申請その7
性同一性障害の方の帰化申請その8
性同一性障害の方の帰化申請その9
提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」