前回は、関越自動車道バス事故の運転手が帰化申請の日本語条件を満たしていたのかどうかということと、「暮らしやすい日本を提供される立場から、暮らしやすい日本を創り守っていく立場になることが、本当の帰化である」ことを書きました。
帰化申請者(あるいは帰化者)と日本語との関わりの中で、平素より強く問題点として感じていることあります。今回の一連のバス事故報道を拝見していて、私の心の中で、一層浮き彫りとなりました。
それは、帰化する人や、帰化した人の中に、日本語を話さない人がいることです。
話せない人ではなく、話さない人、です。
関越道バス事故運転手は恐らくその、日本語を話さない人だったことだと存じます。
帰化申請における日本語条件のハードルの低さは国籍法上に法定されていない限りある意味仕方ないとあきらめるしかなく、また、前回書いた通り、帰化申請で要求されるのは日常会話程度の日本語力ですので、許可になったということは運転手は帰化時には既にそのレベルをクリアしていたのでしょう。
しかし、彼が帰化して日本人になったのは報道によると1994年ということですから、日本人として18年間日本で暮らし続けて来ているはずです。その年に生まれた新生児が現在大学入学の年齢です。
ところが、報道のとおり、取り調べに必要な難しい日本語が理解できない、とすれば、18年間にわたって日本語をちゃんと使ってきていないということに相違ありません。
奥さんも中国人(あるいは、帰化された日本人の間違い?)という報道ですので、家庭では毎日、中国語の会話を続けていたのでしょう。また、交友関係や仕事関係なども日本に住む中国人社会の中だけで生活している人も多く存在します。
最近は、確実に毎日、区役所や市役所、駅や電車内、デパート・ショッピングセンターでも外国語の会話を聞きます。中国語が一番多いです。
外国語を理解できない日本人の中には非常に嫌な思いをする方もいることでしょう。
ロンドンで日本語を大声で話す場面や、北京で大阪弁を話す厚顔な関西人が増えて来たら日本語を理解できない現地の人は嫌な思いをするのと同じことです。数十年前は関東の電車内で大阪弁を話したら嫌な顔で周りが一斉に振り向かれたほどです。
帰化した限りは、日本の社会に同化していく努力も必要です。
家の中でも、元外国人同士が、日本語で会話するぐらいでちょうどいいでしょう。
そして、その努力は、社会のためにするのでも、日本のためにするのでも、もともと日本人だった人たちのためにするのでもありません。
その家庭や、子孫が幸せに暮らしていくために必要な努力です。
とくに、二世、三世となる子供たちは、日本で生まれ育っていく中、身も心も国籍も、完全な日本人となっていきます。
しかし、家庭内で外国語を使い、少し社会から疎遠な状況となることは、子供たちのためにもあまり幸福な事でもないかもしれません。
いっそ外国人気質も伝えない方が幸せなこともあるでしょう。
日本に長年住む韓国人の方の二世、三世の人が現在直面している悲しい状況を、ニューカマーと呼ばれる人生の途中で来日された人が、数十年後に繰り返さないようにするほうが得策です。
とくに、せっかく帰化して日本人になられたのであればなおさらです。
日本語が大切な自分の言語だと感じられないのは、日本人として悲しい事だと、私は思うのです。
法務局の待合室で、面接の待ち時間に外国語で延々と面接官の悪口を言っている人々に出会うたび、この人たちも「日本語を話さない日本人」になるんだろうなと思い、ものすごく悲しい思いをするのです。
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参考リンク:帰化申請の日本語条件
提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」