関越道バス事故の運転手の帰化申請は簡易帰化

 NHKニュースや毎日新聞等の報道で、群馬県警の発表として、関越自動車道バス事故を起した運転手が1993年12月に来日して1994年に日本国籍を取得した元中国籍から帰化した日本人であると供述していると報じられています。

 一般の外国人は来日してから少なくとも5年を経ないと帰化申請ができませんから、この帰化申請が簡易帰化であったことは、容易に推察されます。

 では、どの簡易帰化であったのか。

 それはもし、バス事故の運転手の「供述」であると群馬県警が「発表」したという「報道」が正しければ、「年末に来日し翌年には帰化申請が許可された」わけであり、帰化許可までは少なくとも7,8ヶ月掛かる訳ですから、簡易帰化のうちでも、「来日してすぐに帰化申請ができる」簡易帰化ということになります。

 「来日してすぐに帰化申請ができる」簡易帰化というと、国籍法上は、日本国民の子であるか(8条1号)、もともと日本人として生まれ、その後に外国人となった者(8条3号)でないと、来日して1年未満の時点で帰化申請を行なうことはできません。もちろん、大帰化は問題外です。
 残留孤児の直接の子供であったのではないか、というのが可能性としては一番高いのではないでしょうか。

 また、「供述」か「発表」か「報道」に間違いがあり、「1994年に帰化申請を行なった」というのであれば、少し選択肢の幅が広がります。
 つまり、来日して1年後に帰化申請ができる簡易帰化の線が浮上するからです。

 来日する2年以上前に日本人と結婚していたケース(7条後段)、中日双方で未成年の間に日本人の養子となっていたケース(8条2号)では、来日して1年で帰化申請が可能となります。
 バス運転手が現在43歳であることを考えると来日時には24歳くらいであったということですから縁組後6年も経ってから来日したということはあまり考えられず、未成年養子による簡易帰化の線は少し可能性が低いでしょうけれど、あくまでも縁組時に未成年であればよいので無いとは断言できません。
 また、バス運転手を「知る人の話」として、産経新聞が「報道」しているところによると、「妻も中国人」ということですので、7条の線は消えますが、これも「妻も一緒に帰化申請をした元中国人の日本人」という話の間違いであれば、妻が8条1項であり夫が7条後段の状況で同時申請を行ったという可能性が残ります。

 ただ、諸事考慮するならば、やはり残留孤児の直接の子であったというのが一番可能性が高いことでしょう。

 いずれにしても、それよりも、注目すべきことのひとつは、来日してすぐに帰化申請を行なうというのは、来日をする一般の外国人には考え付かない段取りの良さです。とくに身分関係に関係する在留資格で来日された方は特段日本語ができなくても日本に来ることができてしまうため来日当初の日本語力はほとんど皆無である場合の方が多いくらいなのですが、来日して短期間に帰化申請ができるレベルの日本語力を身につけていたということは来日以前から正式な日本語学校に通っていないと帰化申請は不可能です。

 つまり、ある程度、国籍法、つまり帰化申請に熟知したプロの仕業でしょう。

 中国に居る間から、入念に計画の上、来日手続きと同時に、全てを進めていったとしか考えられません。

 また、注目すべきことのもうひとつは、今回、「取り調べに、通訳が必要だという日本語」のレベルについてです。
 これは、後日に書くことにいたします。

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参考リンク:帰化申請の条件要件

提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」