帰化して心も日本人になるということ

 帰化申請の相談を受けていると「日本の人々が好きで、日本食も好きで、すっかり心も日本人になりましたので、是非帰化申請のサポートをしてください。」と開口一番話し出される方が良くいらっしゃいます。

 それは大変結構なことで、この日本国をこんなに気に入っていただいて、日本人の私としては御礼を申し上げたいです。

 ところが、一家で帰化申請に臨もうと考えている家庭の皆さんなのに、相談する私の前で例えば夫婦間の会話を自国語で交わし出すのをみて、げんなりする事が良くあります。

 良くあるどころか、法務局国籍課の待合室では、外国語が乱れ飛んでいます。
 帰化相談室の中から、明るい声で「ありがとーございましたー」と快活な挨拶が聞こえたと思うと、その挨拶をして出てきたカップルが物凄い不機嫌そうな表情で外国語のヒソヒソ話を始めて、さっきの声は何だったの?と眼を丸くすることや、家族の面接で交替する際に「細かい事聞かれてめっちゃ腹立つわー」と日本人夫らしき人に文句を言ってから友人か兄弟か何からしき人と明らかに良からぬ表情で外国語会話を始められたりするところに出くわすのはしょっちゅうです。

 この方々が皆日本人になっていくのかなあ、と日本人の私としては、非常に前近代的な危機感をどうしても持ってしまいます。

 今日はお彼岸で午前中は墓参りに出掛けていましたが、お彼岸なども段々と単なる休日でしかなくなっていくのでしょうか。

 宗派に関わらず、また先祖の墓が日本にあるかどうかは別として、日本のしきたりとして自分達の祖先に手を合わせる日として、新しく日本人になられる方も良い習慣になさっていただけたらと願います。

 だって、例えば私は仏教徒ですから、手を合わしているのは西方浄土、インドかどちらかの遠い彼方です。
 とくに日本に墓があるわけでないからとか、先祖が日本人でないからとか、あまり関係ないことです。
 「日本人の習慣」として大切なものを国民みんなで守っていく。それが単一国家としての大事な幻想ではないでしょうか。