つい先日、長い間待ち望んでいた帰化申請の案件が許可となりました。
待ち望んでいた、と言うより、待ち焦がれていた、と書いた方が私の心中に近い表現です。毎日、帰化許可の官報告示の状況確認のチェックシステムの中で、真っ先にその方の告示の有無を確認していたほどですから、よろこびもひとしおでした。
実は14日の官報で帰化許可が告示されていたのですが、直後に悲しい熊本地震が起こったので、数日よろこびの声の記事投稿を控えていた次第です。
今回の案件は、かなり難易度の高い案件でした。
熊本県ではないものの九州地方の隣接県にお住まいの方で、色々と行政書士事務所を探されたようですが、おそらくどこも引き請けてくれなかったのでしょう、帰化申請の本場、大阪のASC申請支援センターまで新幹線で相談に来られたのが始まりでした。
実際、お越しいただいた時点では、素行条件と生計条件の双方と他の事情を含め、申請しても不許可となる公算が高い内容でした。おまけに日本語も上手くない(涙)。
しかし、性根が真面目な方である事から醸し出される何とも言えない魅力があり、また、私のうるさい指導にひとつひとつ従っていただくことも約束してくれたので、これから私も色々と悩まねばならないだろう事は予見できましたが「つい」受任してしまいました。
電話だけなら、さっさと断っていた案件です。
はるばる大阪まで足を伸ばされただけの甲斐はあったことでしょう。
そして、受け付けられない案件を受付されても差し支えない案件となるようひとつひとつ修復し、日本語の特訓もして、ようやく昨年のゴールデンウィーク前に受け付けてもらったのでした。
そこから、ほぼ1年近く。
帰化申請の許可までは、長い道のりでした。
うちからの申請でも香港など帰化申請の手続きの流れ自体が全然違う帰化申請案件を除いては、これだけ掛かることはめったにありません。
でも、帰化申請の条件は全て満たしているんだ!と自分とご本人を励ましながら帰化許可を待ちました。
これだけ長く掛かった事の一番の理由は、経営管理で在留期間1年の申請者であったことでしょう。
昨年までの在留資格名で言うと投資経営。
在留資格が経営管理(投資経営)であるかどうかに関わらず、例えば、日本で生まれ育った特別永住者の方でも、事業をされている方の帰化申請はハードルが高くなります。
法務大臣にとっては、況んや1年の在留期間をや、という面持ちとなってしかるべき事です。
法務局ははっきり申し上げて在留期間1年の外国人の帰化申請は受けたがりません。自分で行けば「最長の在留期間になってから、あらためて来た方が身のためですよ」とアドバイスされるでしょう。
実際、そのように言われた方を多く知っていますし、簡単に不許可にされてしまう例も多くあると聞きます。
在留期間が1年というのは、生計条件、素行条件の上から、まだ入国管理局に「信用されていない」ことの証です。
実際、永住申請においては、所持する在留資格において最大の在留期間になっていない者について入管はその事だけで受付を拒否します。
帰化申請においては「一応」最長の在留期間となっていないといけないという法律上の文言はありませんが、結局、法務局は同様の厳格さをもって審査に臨みます。
投資経営(経営管理)になって長いのに在留期間が1年、というのは、確実に何らかの”理由”があるわけですから、法務省・法務局はそれを明確に炙り出して、その”理由”が帰化条件に当てはまらなければ、不許可・取り下げにしなくてはなりません。
今回の帰化申請でも、面接が2回なされた上に、面接後にも何度も電話での聴取がありました。
今だから申し上げられる事ですが、これは不許可の流れになる時の定石と言って良いくらいの典型的なパターンで、当方に不許可後のリカバリー申請を依頼された方が何人も声を揃えるように前回の不許可時の帰化申請を回想される事が多いです。
しかし、申請者のご本人が不安になられては行政書士に金を払う意味が半減しますから、悪い兆しである事を伝えるのはぐっと堪えておりました。自分ひとりで申請している時と違って安心できることも私に依頼する価値のひとつと心得ております。
むしろ、法律上の解釈とこれまでの沢山の経験から導きだした自分の結論に間違いなどあるはずない!と自分を鼓舞して、ご本人には「大丈夫、安心してください」と笑いながら、前述の面接や聴取の際に、対応策をひとつずつご指導して参りました。
そのコツコツとした努力が、許可という成果となって実ったのは、ありがたいことです。
それでも、万が一の不許可時には「大丈夫って言ってたやん」と責められるリスクもあるため、これがなかなかのプレッシャーです(笑)。
今回は、1週間ほど前に許可の兆候があったので、ご本人には来週あたりじゃないでしょうかとお伝えしていましたが、予言通りに許可になり、少し面目も立ちました。
まあ、いずれにしても、ほっとするのはつかの間で、新しいプレッシャーと日々戦っている毎日でございます。