帰化が許可になった本人にまだお祝いの連絡が取れていないのですが、早く誰かとこの喜びを共有したくて仕方がないので書きます。
といっても、守秘義務があるので、今回の帰化申請ついて、肝心なことは何ひとつ書けません(笑)。
本日付で許可になった方は、申請受付から許可まで、なんと686日。
長い道のりの帰化申請でした。
題名の、長い期間にわたる「攻防」の内容については、一切書けません。
生計条件も、素行条件も、全く問題の無い案件にもかかわらず、非常に多くの論点がある申請でした。これぞ「帰化申請の神髄であるところの”総合評価”」といっていい許可でしたから、書きたいことは山ほどあるのですがねえ。
受付時までに、法務局とさまざまに打ち合わせていたにも関わらず、許可条件の重要な部分での、審査方針が途中で変更があり、本来、受付までに済ませる手続きを審査後にいちから始めなければならなくなり、まず、半年延びました。
加えて、帰化の内定が昨年夏に出てから、許可までが、さまざまな手続きを越えて半年かかりました。
さらにさらに、最後の最後の出口のドアに手を掛けたところまで来て、帰化許可が長引いたことを原因とするあらたな非常に深刻な憂いも頭をもちあげたのですが、最終的には、法務大臣の大岡裁きがあったものと感じています。
それは、許可にならなければ、今月いっぱいで在留資格さえ失いかねない状況があり、在留変更の必要があったのですが、変更をしてしまうことで、帰化申請条件の根幹部分に影響を与える致命的な要素が存在していたので、非常に気を揉んでいたからです。
一般の在留資格変更をするだけでは帰化申請自体がダメになってしまう事情もあったので、入管に対する申請上での苦肉の策としての「奥の手」を準備し始めていたところであったので、今日のの帰化許可で本当に肩の荷が下りました。
在留に関する事項に、法務大臣が「待ち」の姿勢を取ると、「奥の手」も使わなければならなかったところでしたが、法務省が「流し」の方針を採用してくれたので、付随する難易度の高い在留変更を短期間に行う必要もなくなりました。
お客さんの許可はひとつずつそれぞれに嬉しいものの、年がら年中許可をいただいていますので、手を叩いて喜ぶことは全くと言って良いくらい無いにも関わらず、今日は官報を読んでぱんぱんと柏手を打ちました。
ひとつだけ言えることは、今日の許可者の方は、ASC申請支援センターの相談会にお越しにならなければ、ほぼ間違いなく許可にならなかったであろう論点の多い申請であったという事でしょう。
申請者本人は、水面下の攻防のことは理解していませんし、行政書士であっても普段帰化申請をやっていない方であれば、臨機応変に次はどんな手段を打つべきかなどと四六時中考えていることはないでしょう。単に、「長いこと掛かるな。」と(笑)。
今回の帰化申請ひとつで、3時間の講義ができそうです。
参考リンク:
帰化許可不許可
提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」