ギリギリで帰化許可がマイナンバーの通知カードに間に合った方が続出

 平成27年は11月3日の文化の日をはさんで2日・4日と帰化許可の官報告示がありました。
 正確には、日本国に帰化を許可する件、です。

 官報には申請支援センターからの帰化申請者の方もありました。
 ブログタイトルには「続出」と書きましたが2日間で3件4人の方が日本人となられただけで、JARO仕様で書くと「間に合った方がパラパラ」です。2日で10件とかそんな事はめったにありません。でもまあ、続いてる事には間違いないので日本語上誤りはありません。おおげさな性格をお許しください。

 さて、今帰化許可になっているのは何とか3月中に受付を押し込んだ案件です。
 それも、日本で生まれ育った特別永住者の帰化です。
 同じ3月に押し込んだ案件でも、人文知識国際業務の中国人の方や事情により日本国籍を喪失された台湾人の方などは許可が出ていません。京都の案件も遅いですね。

 今日、許可になった方のうちおひとりは記憶では3月中頃においでになられて「絶対にマイナンバーの通知カードに間に合わせたい!」とおっしゃるワガママ娘(笑)で、当時は10月に通知カードが郵送されるという予定でしたから今から始めて頑張って4月明けに帰化受付となっても間に合いませんよ、とお断りしましたら凄く哀しそうな顔をなさるので、独り暮らしのサラリーマン世帯だし何とかなるかと「通知カードに間に合うかどうかは一切保証できないが、3月中に受付まで持っていってあげましょう。僕は決しておすすめしないが、どうしてもそんなイチかバチかの賭けに睹してみたいなら受任して差し上げよう。」と受けた案件でした。

 ところが、急がないといけない案件に限って案の定、蓋を開けてみたら親族企業2社の役員に就任していて、それでも「威信に係る意地と根性」で3月中に押し込んだ思い出の案件です。
 ただ、実際は役員就任の事実は予期していなかったものが判明したというのではなく、初回面談の際に長年の勘から「いちど親兄弟に確認してみなはれ」とアドバイスして判った事であり初対面から漠然とした絵は頭にあったので、意地と根性でなんとかなるものじゃありません。 

 本人と家族の頑張りと僕のイラチ気質が揃って初めて実現したわけで、この案件は普段帰化ばかりやっている訳じゃない一般の行政書士に頼んでいたら3月とか4月どころか、ゴールデンウィークを越えていたであろう事は間違いないでしょう。

 まあ、こういったテングの鼻を振り回していれるのも、たまたま今回の許可が通知カードの送付に間に合ったからで、もっというと本人の居住地の自治体のマイナンバー対応が遅れてまだ発送されていなかっただけで、本来ならもう届いていて当然の話です。

 でも、一生懸命ご本人が口うるさい僕に従って頑張り、いっぱい出現したハードルをなぎ倒して3月中に受付に漕ぎ着けたからこそ、神さんが見ていて間に合わせてくれたのだと思います。僕も肩の荷がおりた気分です。

 しかし!

 様々な意味で、この時期に許可になった帰化申請者は、厳密に言うととっくの昔に既に通知カードに間に合っていないのです。

 僕は昨年からマイナンバーに間に会わなかった時の対応と言うか苦肉の策を考えて来ました。
 今日の帰化許可者の方は、その対応策込みで「間に合った」といえるわけです。

 まあ、「昨年の」初めあたりから間に合わなかったらどうしようと悩んで、ノウハウを蓄積してきた小心者は、世の中に僕ぐらいでしょうね。