一昨日、帰化申請後の帰化届を済まされた方からご丁寧にご報告のお電話をいただきました。
もちろん「帰化申請が許可になった報告」自体は数週間前に「申請支援センター」の方からご連絡していましたので、申請支援センターさんから帰化許可後の手続きについてご説明した通りに進めていますよ、というご報告のお電話でした。
帰化許可の連絡を、こともあろうか依頼者から行政書士にさせる事務所が、世の中には多数あるようですので気を付けて下さい。
「帰化が許可になりました」という申請者からの連絡を待っているような行政書士は全部、しろうとの行政書士と申し上げて過言でありません。
さて、今回許可になられた案件は、父母との関係を初めとした身分関係に関する疎明資料が「一切」といって良いくらい何も存在しない案件でした。
本国である韓国においても就籍されておられず、まあ、そんな事は日常茶飯事にあるのですが、日本における各種届出も一切無く、さらに、そんな時の最後の依り処であるお母様も亡くなられておられ、ご事情もあって、ご自分自身から幼少の頃より父母との交流を断っておられ、普通の「ちょっとした難題案件を解決する為の」様々な手掛かりが何もない案件でございました。
はっきり申し上げて、現在名乗っておられる姓名も、国籍すら、どのような根拠で法的に成立しているのかさえ危うい状況でありましたので、私も非常に心配しておりました。
昨年も、少し似た案件で同じように日韓それぞれの証明書類が何にもなくて(このような状況は、本来、受付さえしてくれません。「何もないのに『簡単に』受付がなされた事が日本列島に居住している1億人の日本人が知ったら、議員なども巻き込んでのものすごい大きなムーヴメントとなってしまう。」からです。)、非常に本人も請け負った行政書士である私も苦労をして、やっとのことで許可された案件がありましたが、似ているからと言って、そんなことは帰化申請の審査には何の効力も効用もありません。
帰化申請は、ひとつ、ひとつが、微妙に内容が違い、ひとつ、ひとつが、たとえ似通っていても、「全て」、「全く」、違う案件であるからです。
だから、当センターにおいても、今度の申請は「心して」取り掛かっておりましたので、帰化が許可になるまでは、心配をしておりました。
この案件は、ご本人が懇意にされている大阪府議会議員のセンセがご本人に「帰化申請で本当に難しい案件は、ここしか無い。」と紹介してくださって、帰化相談会においでいただいた帰化案件ということでした。
私も、普段お付き合いのある、自民党や維新の会関係の議員さんでなかったので、どちらかといえば、驚いたくらいです。でも、なぜか、その党の紹介はたまにあります。議員個人としては、みなさん地道にこつこつと頑張っている方の多い政党です。
邪推するならば、やはり議員さんですから、知り合いの行政書士事務所などを数件あたってみられたのだと思いますが、たぶん「帰化申請をしても100%許可されないでしょう。」との回答をもらわれ、仕方無しに”最後の望み”として、ASC申請支援センターを紹介されることになったのだと考えます。
どうせ許可にならんだろ、と。
あくまで、「邪推」ですよ。でも、遠くはないでしょう。
詳しい事はブログで一切書けませんが、本人と親との身分関係だけではなく、様々なハードルがございました。
でも、それが、結果的には、帰化申請をした本人さんにとって、良い結果となりました。
ASC申請支援センターを紹介したら、見込みがないと考えていた帰化申請が許可になっちゃった、と紹介者は驚いているかもしれません。
本当に、鼻高々です。
私にとっても、お金で買えない良い経験となりました。
本人さんも幸せになり、申し分ありません。
神仏に感謝しています。ナマンダブ、ナマンダブ。