帰化申請の日本語テスト対策で短期猛特訓

 夏が来れば思い出す、という歌がありましたが、たくさんの帰化申請の中でも、「思い出」に残っている帰化申請が幾つもあります。
 
 その中のひとつで、夏になると思い出すのが、夏に日本語テスト対策で猛特訓をして許可に漕ぎつけた案件です。
 帰化申請の審査は既に進んでいて、取下げの一歩手前まで行っていたのですが、なんとか許可を勝ち取ったのでした。

 まだ、大阪環状線の寺田町駅前で「帰化申請相談会」を開いていた頃ですので、かなり前の夏のことです。
 なお、登録された事務所以外での「駅前相談会」は行政書士法で禁止された2ヶ所事務所にあたり、また登録された事務所以外で例えば出張して申請の委任契約を受任することは許されないという大阪府行政書士会綱紀委員会の判断で、現在は天満橋の申請支援センター以外での相談会は一切開催していません。(この綱紀委員会との話はまたあらためて書きましょう)

 この日本語テスト猛特訓案件は、駅前相談会での初回面談の時点で私の経験から「ぎりぎりだけれど日本語条件はクリア」と判断し、受任をした案件でした。
 
 申請支援センターでは、俗にニューカマーと呼ばれる、人生の途中で来日された外国人の方が帰化申請を希望される場合には、申請支援センターでの初回面談時に必ず独自の日本語テストをいたします。

 この方も初回面談時に、申請支援センターの簡単な日本語テストを受けていただき、その時点では完全にはクリアできていませんでしたが、家族も非常に協力的で意思疎通も日本語で行なっている家庭でもあり、ほんの少し頑張れば法務局での日本語テストも通過できるであろうと考えておりました。

 そのため、その当時の日本語試験対策テキストを渡して、簡単にアドバイスをして済ませておりました。そして、申請受付の直前にお会いした際に、本人の日本語レベルを再確認して受付に臨み、受付時の簡易テストはクリアして番号もいただいていたのです。

 ところが帰化面接の当日に、面接に同行したご家族からお電話があり、申請者ご本人が面接室で泣きじゃくっていて収まりがつかないとの連絡をいただきました。
 日本語テストの時には多大な緊張も加わって申請者本人は試験を見るなり固まってしまい、一問も解けなかったとのことでした。鉛筆を持つ指が震えて、目の前が真っ暗になり、ひと文字を書くことすらできなかったそうです。
 要するに、本番の、日本語テスト結果は「0」点!

 しかし、実力がともなっていることは間違いないと信じており、申請支援センターの目に狂いはないと自負していましたので、法務局に対しては、本人の緊張度合いや、本人が日本語力を有していることの客観的な証拠を示して、なんとか、仕切りなおしをさせてもらえることになりました。

 行政書士に依頼していなければ、間違いなくこの時点で終わっていた申請でしたね。
 
 さて、他の理由もあったので、たまたま数週間の余裕はもらうことができたものの、もともと日本語レベルにはある程度の習熟があったのに、法務局の日本語テストができない理由が分からないことには、何度挑戦しても同じ結果が見えています。

 そこで、本人と再度面談した中で慎重に多角的な現状把握のための手段を講じたところ、本人が「日本語ができるのに、日本語テストができない」原因を究明することができました。
 企業秘密ですので簡単にインターネットでお話しすることはできませんが、人生の中途で日本に来た外国人が、日本語の実力はあるにもかかわらず法務局の帰化申請日本語テストで失敗する原因は、意外なところにあったのです!

 今回は分析した原因を徹底的に克服する事のみを目的に、今回の事件をもとに改訂しレベルアップした申請支援センター日本語テキストとともに、ピンポイントの弱点克服特訓スケジュールを組みました。

  帰化申請の経験がほとんどないのに帰化申請の専門家の「ふり」をしている行政書士事務所の場合には、「帰化申請の日本語テスト対策として、小学校の国語ドリルを紹介する」事務所が多いのですが、それじゃ全くダメ!です。「良いドリルを選んであげます」なんて言葉は、ど素人の人の言葉です。

 普通に市販の小学校国語ドリルを買って練習したところで、たかが数週間ではどうにもならないからです。

 ご本人も必死になって下さり、1日に7時間位、反復練習をされたそうです(当初私が組んだスケジュールでは2,3時間でよかったのですが・・・)。その結果10日ほど後に当センターの第一回目の成果確認日には既に見違えるほど上達されていました。
 もともと、私が保証した実力はあったわけですので、当たり前といえば当たり前のことかもしれません。

 ただ、その日にご本人からいただいた言葉が、「これまで日本の街角を歩いていても、日本語の看板は、じっくり読めば読めるのですが、まるで絵文字のようで、まさに異国を彷徨っているようだったが(「異国を彷徨っている」という表現はされなかったと思いますけれど、それらしい言葉をおっしゃったのですが忘れました)、今はひと目で看板の意味がわかるんです。日本に来てすぐに、申請支援センターさんと知り合えたらもっとよかったのに。」とのことでした。
 私も固まりました。そんな日本語レベルのはずじゃなかったのに、と。

 いずれにしても時間はあと半分しかありませんから、後半特訓スケジュールを組み、もういちど本人も自習をがんばり、再度チェックをして、法務局の日本語テストに臨んだところ、今度は自信も生まれ、手も震えずに、試験をクリアされました。
 試験が終わった時には、担当の法務局職員の方がよかったねと、少し手を叩いてくださったそうです。
 数ヵ月後に、無事帰化の許可もおりました。

 それまでの多数の日本語テスト案件に加え、この申請でかなり法務大臣が要求するレベルを見切ることができたように感じますし、センターの日本語テキストも一層洗練されました。
 普段、ルーチンワークの仕事が多い中、本当に心に残る、夏の帰化申請案件ではありました。
 
 実は、この案件には、もっと凄い後日譚があるのですが、いつかお話することもあるかもしれません。

参考リンク:
帰化申請の日本語条件

帰化申請条件

帰化申請の日本語テスト対策の日本語テキスト(帰化面接用)

提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」