昨日平成24年6月12日に、福岡県太宰府市で、7世紀末の戸籍または住民票にあたる木簡が発見されたと各紙が報じておりました。
7世紀末というと、古墳時代の後期にあたりますから、朝鮮半島や中国からの多くの帰化人が渡来した時代の直後であり、木簡にはヤマト王権に帰属した帰化人も掲載されていたかもしれません。
ちょうど、670年に「倭」から「日本」へと、対外的な国号があらためられていますので、それまでに帰化した渡来人は倭人が日本人となった時からの日本人といえるでしょう。
木簡には、地方行政単位の「嶋評(しまのこおり)」や氏名、性別、身分、続柄などが記載されており、メディアによっては「戸籍にあたる」とか「住民票にあたる」とか特に統一されず報じられています。
個人的には、続柄が掲載されているので戸籍と称して良いと考えます。庚午年籍、庚寅年籍と徐々に本格的な戸籍につながって行ったのでしょう。
ただ、今回の木簡発見に関連してネットを散歩していて、興味あるトピックスを見つけました。
それは、日本書紀の540年8月の記事に「秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。」という記載があるということです。
つまり、倭人には戸籍が無い時代に、帰化人が盗人や浮浪人となっていかないように管理する事を目的として作成されたものが、日本の戸籍のルーツだったのです。要するに、外国人登録原票だったのですね。
日本の戸籍に最初に記載されたのが外国人であったことは、帰化申請を業として外国人の方に日本人としての戸籍を提供する仕事をしている身にとっては、非常に衝撃的な発見でした。
提供:帰化申請の「ASC申請支援センター」